用語集

分 類用語読み説明
政治幕府バクフ・本来は中国で出征中の将軍の幕営を指す。
・日本では武家政権の首長である将軍の居館を指し、さらには政権自体を意味するようになった。
・鎌倉では、大倉幕府(治承四年・1180)、若宮大路幕府(嘉禄二年・1226)、宇津宮辻子幕府(嘉禎二年・1236)がある。
政治御成敗式目ゴセイバイシキモク・鎌倉幕府の基本法典。
・第三代執権北条泰時・連署北条時房らにより、貞永元年(1232)に制定された。
・「式目」の式は方式を、目は条目を指すが、成敗(裁断)のための式目の意味で、御成敗式目と呼び、他に「貞永式目」「関東御成敗式目」「関東武家式目」とも称する。
・幕府成立当初は制定されていなかったが、承久の乱後新たに支配下となった西国の領地を巡る裁断が急増したため法を整備する必要に迫られて、公家法とは異なる武家社会の秩序維持の法51箇条が制定されたのである。
政治鎌倉公方カマクラクボウ・鎌倉御所とも呼ぶ。
・室町幕府が設けた鎌倉府の首長で足利尊氏の四男基氏から五代続いた。
・関東、後に東国の支配権を持ったが、京都の将軍と対立することが多く、争いが絶えず永享の乱の後、五代足利成氏が古河に逃れ、鎌倉府は事実上その役割を終える。
・浄妙寺と明王院の間に公方屋敷跡の伝承地がある。
政治関東管領カントウカンレイ・室町幕府の職名。
・鎌倉公方(御所)を補佐し、関東の政務を掌る。
・貞治二年(1363)以降は上杉氏のみが務めた。最後の関東管領は上杉輝虎(謙信)。
政治幕府の官寺バクフノカンジ・将軍創建の寺や幕府主催の国家守護のための祈祷を行う寺をいう。
・源氏の氏神、武門の守護神である鶴岡八幡宮、奥州戦乱の戦死者を弔う永福寺、源氏の菩提寺の勝長寿院は幕府創建当初の三大寺院といわれ官寺の代表的な例である。
政治執権シッケン・鎌倉幕府で将軍を補佐し、政務を統括する職をいう。
・建仁三年(1203)北条時政が執権職となったのが最初で、以降は執権が政治の実権を握り代々北条氏が世襲した。
政治連署レンジョ・鎌倉幕府の職名で執権を補佐して政務を行う。
・執権とともに幕府発給の公文書に署判するため連署と呼ぶ。
・初代の連署は、第三代執権の北条泰時が嘉禄元年(1225)に任じた叔父の北条時房である。
宗教開山カイサン・「山」は寺を意味する。
・寺院の創始者。または宗派の開祖。
宗教開基カイキ・物事のもとを開くことが本来の意味。
・寺院を創建する際に財政面を負担する世俗の信者。
・例として、建長寺の開山は蘭渓道隆で開基は北条時頼である。
宗教八幡神ハチマンジン・北九州の宇佐八幡宮に始まり、京都石清水八幡宮に勧進されて、平安時代から伊勢神宮と並び信仰を集めてきた。
・源氏の氏神であり、鎌倉に武家政権が成立すると,武門の守護神として全国的に信仰が広まった。
宗教勧請カンジョウ・神仏(の分霊)を請じ迎えて(祭)ること。
宗教遷宮セングウ・新しい神殿を造営し、旧神殿から神霊を移すこと。
宗教天神テンジン・主な意味としては、@天界に住み仏法を守護する神。A菅原道真を火雷天神とする信仰から、道真の神号。
宗教鬼門キモン・陰陽道で、鬼が出入りするために、万事を忌み嫌う方角。丑寅(北東)方向を指す。
宗教鎌倉五山カマクラゴザン・建長、円覚、寿福、浄智、浄妙の五寺を指す。
・いずれも臨済宗の寺で、各寺の寺格を定め、官が任命した住持を順次上位の寺へ昇任させる五山制度は、鎌倉でいち早く取り入れられ、後に京都の禅寺へも適用される。
宗教持仏堂ジブツドウ・持仏(いつも身近に置いて信仰する仏)または祖先の位牌を安置する堂、室。
宗教鎌倉新仏教カマクラシンブッキョウ・鎌倉仏教は、新仏教の成立と南都仏教の復興とに大別される。
・新仏教は、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗を指す。
宗教禅宗ゼンシュウ・仏教の一派。開祖は達磨大師。
・その教旨は、仏教の真髄は座禅によって体得されるとする。
・本格的な禅が日本に伝えられたのは、文治三年(1187)に渡宋した明庵栄西に始まる。
・栄西は帰国後、京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺を開いた。
・現在、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(オウバクシュウ)を日本禅三大派と称する。
宗教梵字ボンジ・古代インドの文字、サンスクリット。
宗教種字シュジ・梵字で一字を以って仏菩薩を表わす。
宗教やぐらヤグラ・鎌倉地方独特の中世墳墓。
・埋葬と供養の場を兼ね備えた仏堂的機能を持つ方形の横穴墓で、切岸の中腹ないしは裾部に掘られる。
・やぐらという名称は、岩窟を指す方言といわれ、その起源は法華堂(墳墓堂)の特殊形態とする説と、中国に多い崖をくりぬいた仏龕(ブツガン)に倣ったとする説がある。
・やぐらの基本形態は、埋葬施設である矩形の玄室と通路状の羨道からなり、屋根型の天井部や扉の柱と横木を取り付けるための穴、正面階段、あるいは壁面彫刻などを伴うやぐらも少なくない。
歴史承久の乱ジョウキュウノラン・承久三年(1221)に勃発した京都の朝廷と鎌倉幕府との戦争。
・頼朝の死後、幕府内の内訌(内部の争い)や実朝の暗殺などの事変を幕府側の弱体化現象と見た後鳥羽上皇が北条義時追討の宣旨を発したのが発端である。
・戦いは鎌倉側の圧勝に終わり、義時は後鳥羽上皇らを流罪に処し、さらに没収した所領を戦いの功労者に新恩の地として与えて新補地頭(この乱以降任命された地頭をいう)を配するなど、名実ともに鎌倉幕府を全国支配政権とした。
歴史南宋ナンソウ・中国の国名。
・後周の将軍趙匡胤(太祖)が960年に宋を興すが、1127年金の侵入により江南に都を遷す。それまでを北宋と呼び、1279年に元により滅ぼされるまでを南宋という。
・中国史の中で宋代は政治、経済、文化、社会の大転換期にあたり、我が国に及ぼす影響は多大であった。
歴史ゲン・モンゴル帝国第五代の世祖フビライが1271年に建てた王朝。
・南宋を滅ぼし、安南、タイなどを服従させて東アジアの大帝国となった。
・1368年、明に滅ぼされる。
・日本との関係では、文永、弘安の役(1274・1281)で外圧を受けたが、その一方で日宋貿易に続く日元貿易は継続的に行われ、経済交流のみならず多数の渡来僧が来朝するなど文化交流も盛んであった"
歴史廃仏毀釈ハイブツキシャク・1868年、明治政府が神権的権威確立のためにとった宗教政策である神仏分離令公布をきっかけに全国で起こった、仏教に対する極端な破壊排斥運動。
・鎌倉においても鶴岡八幡宮の仏教施設や仏像・仏具などが壊されたほか、多くの古寺が廃絶させられてしまう。
建築禅宗様ゼンシュウヨウ・唐様ともいう。
・鎌倉時代に禅宗とともに渡来した宗の建築様式。
建築和様ワヨウ・鎌倉時代の大仏様(天竺様)や禅宗様(唐様)に対して、奈良時代に中国から移入された系統の建築様式。
・三十三間堂や興福寺東金堂などに見られる。
建築禅宗寺院の伽藍配置ゼンシュウジインノガランハイチ・三門、仏殿、法堂等を一直線上に並べ、浴室、東司、僧堂、祖師堂等を左右対称に建てる伽藍配置。
・中国宋代に流行、13世紀半ば以降中国寺院の例にならって造営された禅刹で用いられたため、この呼び名がある。
建築五輪塔ゴリントウ・密教で言う宇宙の構成元素である、空、風、火、水、地の5大をかたどっているといわれる塔。
・中世に数多く造られ、現代に残る鎌倉の石塔の中でも最も多い。
・極楽寺忍性塔や多宝寺跡の覚賢塔は3mを越す大型のものである。
建築宝篋印塔ホウキョウイントウ・石塔の主流として五輪塔とともに流行した密教系の塔。
・鎌倉時代に最も流行した。
建築鎌倉仏師カマクラブッシ・鎌倉の地を根拠地として、主に東国で活躍した仏師たちの総称。
建築総門ソウモン・禅宗寺院では表門を指す。
建築仏殿ブツデン・禅宗寺院で仏像を安置するための建物。
・他宗では本堂、金堂という。
建築方丈ホウジョウ・寺院住職の居所。
建築法堂ハットウ・禅宗寺院で説法を行う堂を指す。
・他宗では講堂という。
建築山(三)門サンモン・三解脱(空・無相・無作)門の略。
・本堂前にある門の総称。
・禅宗寺院では2階建楼門形式が多く見られる。
土木東海道トウカイドウ・古代の行政区画である五畿七道のうちの七道の一つで、中部から関東にかけての太平洋側を貫く主要路。
・鎌倉はこの路の本道に直接面していなかったが、日本武尊が横須賀走水を越えて上総国へ渉ったとの古事記の記述から、海岸沿いに走る東海道の「側道」があったと考えられる。
・鎌倉幕府開設以降は、吾妻鏡等から、大磯、茅ヶ崎、藤沢を経て鎌倉に入る道筋が整備されたと判る。
・鎌倉には、極楽寺切通ができる前の、稲村路から六地蔵を経て浜の大鳥居で若宮大路を横切り名越へと抜ける「車大路」コースと、極楽寺切通から甘縄を経て下の下馬橋で若宮大路を横切り名越へと抜ける「大町大路」コースの新旧二筋の東海道が東西に走っていた"
土木鎌倉街道カマクラカイドウ・鎌倉を中心として放射状にはしる主要な道。
・鎌倉幕府開設以来の各地から鎌倉へ向かう中世及び近世古道の呼び名。
・新田義貞の鎌倉攻めコースとして、『太平記』や『梅松論』から辿れる「上ノ道」、「中ノ道」、「下ノ道」が一般的である。
土木七切通ナナキリドオシ・鎌倉と外地とを結ぶ主要な交通路で、極楽寺坂、大仏坂、仮粧坂、亀ヶ谷坂、巨福呂坂、朝比奈、名越の各切通をいう。
土木切岸と平場キリギシトヒラバ・丘陵の山腹あるいは沢筋を垂直に切り落として造成した人工の崖を切岸といい、その造成残土で切岸の前面を埋め立てて平地化したところを平場と呼ぶ。
・鎌倉を囲む丘陵部の谷戸内のいたるところに見られ、狭い鎌倉で寺院や屋敷地の用地を確保するための有効な造成工法である。
・平場に建つ寺院などの背後に峙つ切岸にはやぐらが穿たれた。
・切通周辺の切岸は要害施設としても有効であった。
土木堀切ホリキリ・本来は丘陵の尾根筋を、V字形ないしは薬研堀状に断割って尾根上の行き来を阻害する要害施設。
・鎌倉を囲む丘陵部には数多く遺るが、逆に尾根に直交する尾根越路としても使用された例もあり、犬懸ヶ谷と釈迦堂ヶ谷の間の堀切には閂穴を伴う柵戸状遺構が発見されている。
土木鎌倉石カマクライシ・鎌倉地方で産出される粗粒凝灰岩。火には強いが、霜や風化に弱い。
・五輪塔や建築物の礎石などの石材として使われる。
土木土丹ドタン・鎌倉地方で産出される泥岩あるいはそれを破砕した岩礫。
・軟質で砕きやすく、中世の鎌倉では、道路の舗装や地固めのための混和材として膨大な量が利用されている。
・その他、石垣や川の護岸、建物の礎石などの建材としても使用された。
その他柏槇ビャクシン・和名ではイブキ。
・原産地は中国、朝鮮で、常緑の喬木。
・建長寺仏殿前のものが特に大きく、名勝に指定されている。
その他いざ鎌倉イザカマクラ・鎌倉に大事があれば馳せ参じて忠勤に励むとの意味。
・転じて「何か大事が起こり、いよいよ行動すべき時が来た」という場合を指す言葉として使われる。
その他鉢の木ハチノキ>・世阿弥作の謡曲。民情を探るため放浪の僧に身をやつした執権北条時頼を、丹精を込めた盆栽を薪にしてもてなした佐野源左衛門常世の話。後日、軍勢の召集に応じて真っ先に駆けつけた常世に、時頼は彼の旧領を復して褒美とする